水をめぐって |
ここで暮らし始めてすぐに気がついたのは、水道の水が美味いことだった。それまで住んでいた松本の水もそう悪い水とは思わなかったが、引っ越してからお茶やコーヒーの味がぐんと良くなったように感じた。
それもそのはずで、このころは村の中を流れている小さな川が水源になっていて、それを上水道として供給するには何の手も加える必要がないという話だった。塩素分がゼロというわけにはいかないので、最低の分量を加えるだけという話だった。
ところが、だんだん村内人口がふえてきて、自前の水源だけでは村の水需要を賄えない見通しが出てきた。そのため、奈良井川(犀川・信濃川と名前を変えて日本海にそそぐ)の水をわが村でも使うように変わってきた。この水だが、日本中のほとんどの水源がそうだが、上流に作ったダムにいったん貯めた水を上水に加工して配水したものである。
だから、たしかに東京の水などに比べるとはるかに良い水なのだが、村の水源から配水されていた水とはずいぶん違うように感じた。塩素の臭いがしたりする。
そこで、浄水器を使うようになった。それが左の写真のもので、シーガルフォーというアメリカ製のごつい装置である。料理やお茶などに使う水はすべてこの浄水器を通したものを使っている。
そのフィルター部分(カートリッジ)を取り換えた。
すごく簡単である。ものの5分とかからない。実によくできている。
問題がないわけではない。この浄水器は(カートリッジも)高価なのである。高いからそれに見合った効果もあるとは思うが、こういうものを使わなくてはいけない生活や環境こそ問題であろう。美味しい水を求めるのはそれほど贅沢なこととは思わないが、この種の道具が必須というのでは困る。