2005年 10月 03日
「子ども替え」のすすめ |
10月になって今日から制服のある中学生たちは衣替えである。衣替えのときになるといつも思い出すのだが、わたしの子どもが小さい頃これを「子ども替え」と言い換えたものである。
わたしが住んでいるのは松本から直線距離で15kmほど離れた村で、そこに50軒ほどの宅地が造成され、いまから10年ほど前に一斉に引っ越してきた。家族構成も大半は似通っていて、子どもたちの年齢も非常に近かった。子どもたちはいろいろな家の間を行き来して、親たちや親子の関係を観察する機会があった。それは親たちも同じである。
だから、子どもが小さかった頃、「〈子ども替え〉というのは一年に二回、〈うん、あの子どもがいいな〉とか〈今度はこの子にしよう〉というように、子どもを取り替えるんだよ。親のいうことを聞かないと取り替えられてしまって、しまいには誰もお前のことを欲しがらなくなるんだよ」というように言い聞かせたものである。
その頃は冗談でそう話していたのだが、よく考えてみると、そういう風に子どもや親を取り替えることができたら、児童虐待とか家庭内暴力とかはほとんどなくなるのではないか。「子ども替え」は「親替え」でもあるから、親も子どもたちに選ばれるように努力するようになるだろう。
親子の愛情というが、過剰に子どもや親に執着を持つことはかえってその人々の精神や感情の発達を阻害するのではないか。そんなことをよく考える。
せめて一年のうち数日間だけでも「子ども替え」や「親替え」をやってみたらどうかと真剣に思うのである。
わたしが住んでいるのは松本から直線距離で15kmほど離れた村で、そこに50軒ほどの宅地が造成され、いまから10年ほど前に一斉に引っ越してきた。家族構成も大半は似通っていて、子どもたちの年齢も非常に近かった。子どもたちはいろいろな家の間を行き来して、親たちや親子の関係を観察する機会があった。それは親たちも同じである。
だから、子どもが小さかった頃、「〈子ども替え〉というのは一年に二回、〈うん、あの子どもがいいな〉とか〈今度はこの子にしよう〉というように、子どもを取り替えるんだよ。親のいうことを聞かないと取り替えられてしまって、しまいには誰もお前のことを欲しがらなくなるんだよ」というように言い聞かせたものである。
その頃は冗談でそう話していたのだが、よく考えてみると、そういう風に子どもや親を取り替えることができたら、児童虐待とか家庭内暴力とかはほとんどなくなるのではないか。「子ども替え」は「親替え」でもあるから、親も子どもたちに選ばれるように努力するようになるだろう。
親子の愛情というが、過剰に子どもや親に執着を持つことはかえってその人々の精神や感情の発達を阻害するのではないか。そんなことをよく考える。
せめて一年のうち数日間だけでも「子ども替え」や「親替え」をやってみたらどうかと真剣に思うのである。
by himitosh
| 2005-10-03 19:11
| 社会