2006年 08月 05日
明日は知事選 |
明日は長野県知事選挙が行われる。今回の選挙についてはあんまり関心は強くないのだが、間違いなく投票には行くつもりである。
田中現知事については相当「ヘンな人」であることが県民の間にも知れ渡ってきている。過去二回の選挙のような「追い風」がないのはそれが最大の理由だと思われる。「思いつきが多すぎる」とか「行き当たりばったりで行動する」といった批判がつきまとっている。
ただし、長野県の知事は1959年から2000年までほぼ40年間、副知事が当選することが続いてきて、いわば既得権益を最優先させるシステムが完成していたので、それを多少でも変えようとすればものすごいフリクションが引き起こされるのは当然のことであろう。その意味では田中康夫でなくても、異分子が入り込めば似たような拒絶反応が生じたものと思われる。
で、対抗馬として押し出されたこの人物なのだが、なんだかとても冴えない人のように思える。というか、この人は御輿に乗って登場したような印象が強い。経歴を見ても官僚上がりで自民党→新進党→新生党→自民党と渡り歩いた人物である。「調整型」といえばほめすぎで、「さしたる主張のない保守政治家、あるいは地方ボス」と形容するのが正確ではないか。
去年の総選挙でこの人物は郵政改革に反対して自民党の公認を外され、それでも選挙に出るかと思っていたら、「当選しても自民党で活動できなければ意味のあることはできない」とあっさりと立候補を断念してしまった。よくいえば「欲の少ない」、悪くいえば「根性の足りない」「確たる政治的信念のない」人物と思われる。もう過去の人になるはずだったものが、強烈な自己主張をする可能性が少ないので、担ぎ上げるには絶好の人物として浮上したというのがわたしの印象である。
とにかく現知事のような個性むき出しの人物に手を焼いた人々には魅力的に映ったようだ。本人も「わたしは独裁者にはならない」とか「周囲の意見を良く聞いて判断する」といったことしか述べていない。選挙広報等で語られる彼の政見ははなはだ曖昧模糊として要領を得ない。
わたしの考えでは、こういう人物ではいまの時代の選挙は難しいのではないか。自民党も候補を出すのであればもう少し魅力的な人物を出せば戦えたと思うのだが、このような地方の政治ボスたちの妥協の結果と思われる候補しか立てられないのでは現職には勝てないのではないか。
田中康夫の最初の選挙のときのことをいまでも憶えているが、県の副知事だった人物が出馬するにあたって県内の市町村すべてに後援会のリスト作りがノルマとして課せられ、あらゆる人に加入するように働きかけがあった。なにしろ(信州に転居してたかだか10年ほどしかたっていなかった)このわたしにすらそんなお誘いが来たのだから、どれほどファシスト的な翼賛選挙だったかわかると思う。
田中知事の対抗馬が勝利すれば、おそらくまた以前と同じような地方政治のシステムが復活していくものと予想される。それを喜んで受け入れるのは、ごく少数のボスたちとそれにつながる小ボスたちだけではないか。
まあ、タバコ対策として県施設の敷地内全面禁煙という田中知事が打ち出した方針は時代を先取りするものであり、これだけでも田中知事を支持する理由にはなる。地方ボスと喫煙は、イメージとして切っても切り離せないように思うのだが、どうだろうか。
<追記>
田中知事の三選はならなかった。これをどのように考えるべきだろうか。
まだ細かな票数が出てきていないが、どうやら「人柄」というあたりに原因がありそうだ。田中知事はなかなかつきあうのが難しい人で、周囲を巻き込んで運動を作り上げることに失敗したのではないか。いったん近づいた人でもすぐ離れるケースが多くて、ほんとうに人望がない人なのだろう。
ほとんどの選挙でわたしが支持する候補はまず落選するのだが、今回もその例に漏れなかった。
う~ん。その理由をよく考えてみなくてはいけない。
田中現知事については相当「ヘンな人」であることが県民の間にも知れ渡ってきている。過去二回の選挙のような「追い風」がないのはそれが最大の理由だと思われる。「思いつきが多すぎる」とか「行き当たりばったりで行動する」といった批判がつきまとっている。
ただし、長野県の知事は1959年から2000年までほぼ40年間、副知事が当選することが続いてきて、いわば既得権益を最優先させるシステムが完成していたので、それを多少でも変えようとすればものすごいフリクションが引き起こされるのは当然のことであろう。その意味では田中康夫でなくても、異分子が入り込めば似たような拒絶反応が生じたものと思われる。
で、対抗馬として押し出されたこの人物なのだが、なんだかとても冴えない人のように思える。というか、この人は御輿に乗って登場したような印象が強い。経歴を見ても官僚上がりで自民党→新進党→新生党→自民党と渡り歩いた人物である。「調整型」といえばほめすぎで、「さしたる主張のない保守政治家、あるいは地方ボス」と形容するのが正確ではないか。
去年の総選挙でこの人物は郵政改革に反対して自民党の公認を外され、それでも選挙に出るかと思っていたら、「当選しても自民党で活動できなければ意味のあることはできない」とあっさりと立候補を断念してしまった。よくいえば「欲の少ない」、悪くいえば「根性の足りない」「確たる政治的信念のない」人物と思われる。もう過去の人になるはずだったものが、強烈な自己主張をする可能性が少ないので、担ぎ上げるには絶好の人物として浮上したというのがわたしの印象である。
とにかく現知事のような個性むき出しの人物に手を焼いた人々には魅力的に映ったようだ。本人も「わたしは独裁者にはならない」とか「周囲の意見を良く聞いて判断する」といったことしか述べていない。選挙広報等で語られる彼の政見ははなはだ曖昧模糊として要領を得ない。
わたしの考えでは、こういう人物ではいまの時代の選挙は難しいのではないか。自民党も候補を出すのであればもう少し魅力的な人物を出せば戦えたと思うのだが、このような地方の政治ボスたちの妥協の結果と思われる候補しか立てられないのでは現職には勝てないのではないか。
田中康夫の最初の選挙のときのことをいまでも憶えているが、県の副知事だった人物が出馬するにあたって県内の市町村すべてに後援会のリスト作りがノルマとして課せられ、あらゆる人に加入するように働きかけがあった。なにしろ(信州に転居してたかだか10年ほどしかたっていなかった)このわたしにすらそんなお誘いが来たのだから、どれほどファシスト的な翼賛選挙だったかわかると思う。
田中知事の対抗馬が勝利すれば、おそらくまた以前と同じような地方政治のシステムが復活していくものと予想される。それを喜んで受け入れるのは、ごく少数のボスたちとそれにつながる小ボスたちだけではないか。
まあ、タバコ対策として県施設の敷地内全面禁煙という田中知事が打ち出した方針は時代を先取りするものであり、これだけでも田中知事を支持する理由にはなる。地方ボスと喫煙は、イメージとして切っても切り離せないように思うのだが、どうだろうか。
<追記>
田中知事の三選はならなかった。これをどのように考えるべきだろうか。
まだ細かな票数が出てきていないが、どうやら「人柄」というあたりに原因がありそうだ。田中知事はなかなかつきあうのが難しい人で、周囲を巻き込んで運動を作り上げることに失敗したのではないか。いったん近づいた人でもすぐ離れるケースが多くて、ほんとうに人望がない人なのだろう。
ほとんどの選挙でわたしが支持する候補はまず落選するのだが、今回もその例に漏れなかった。
う~ん。その理由をよく考えてみなくてはいけない。
by himitosh
| 2006-08-05 19:52
| 政治