2006年 09月 06日
「恥」というゲーム |
『小さな世界Small World』だったか『交換教授Changing Places』だったか判然としないのだが、デイヴィッド・ロッジの「アカデミック・ロマンス」と称する一連の小説のなかで、「恥」という名前のゲームの話があった。ロッジはイギリスの作家で長く大学で教鞭を執ってきた人である。そして、彼の小説世界のひとつが英文学者たちの生態をコミカルに描いたもので、まさに抱腹絶倒といっていいほど笑わせてくれる。
『小さな世界』にはサカザキ・アキラという日本の英文学者も登場するのだが、これがどうやら大学一年のときにわたしが習った教師のような気がする。というのも、このサカザキ先生はロナルド・フロビッシャーという労働者階級出身の作家の作品を日本語に訳しているのだが、作者を質問攻めにする。こんな調子だ。サカザキからの手紙に関する作家のセリフ:
わたしが大学で習った教師はアラン・シリトーという労働者上がりのイギリス人作家の紹介をしていて、とても几帳面な感じの教師だった。この種のやり取りがあったと想像しても間違いではないような気がする。
で、「恥」というゲームはどのようなものかというと、英文学を研究する人々が集まったときに「研究者なら当然読んでいなければいけない本で未読の本」の名前を挙げていき、それが多いものが勝ちになるというゲームである。実に自虐的なゲームなのだが、そういうことは意外にあると思う。というのも、いまの学術研究は特定の領域にものすごく特化してしまう傾向がある。そうでなければ研究が進まないということがある。したがって、自分の専門領域以外の本はまったく読まない人が大勢出てくる。
そういう傾向は大学で学生相手に教えるときにはマイナスに働くことが多い。広い知識と関心の幅が教育には必要なのである。
なぜそのようなゲームのことを思い出したかというと、トイレで読んでいるFrank McCourtのTeacher Man第八章の冒頭部分でマコートが大学院に入って論文を書く話が出てきた。その部分を今朝読んだ。アイルランド人のマコートはジェームズ・ジョイスの『ユリシーズ』の登場人物バック・マリガンのモデルになった人物を論文のテーマに選んだ。
ところが、わたしはジョイスの『ユリシーズ』を読んだことがない。読み始めたことは何度かあるのだが、読めなかったのだ。同じようにプルーストの『失われた時を求めて』も、何度かトライしてそのたびにギブ・アップしている。
そういう未読の(だけど必読の)本というのがずっと気になっている。いずれ読めるだろうか。それとも一生読まないままになるか。
『小さな世界』にはサカザキ・アキラという日本の英文学者も登場するのだが、これがどうやら大学一年のときにわたしが習った教師のような気がする。というのも、このサカザキ先生はロナルド・フロビッシャーという労働者階級出身の作家の作品を日本語に訳しているのだが、作者を質問攻めにする。こんな調子だ。サカザキからの手紙に関する作家のセリフ:
「いやあ、こいつは実に面白い。聞けよ。<86ページ、下から七行目And a bit of spare on the back seat(「そして後部座席でセックスをする」)それはイーノックが車の後部座席に置いているスペアタイヤなのでしょうか?><93ページ、上から三行目Enoch 'e went spare(「イーノックのやつが怒った」)これはイーノックが車のスペアの部品をとりに入ったという意味でしょうか?>奴には同情しなくちゃいかんな。奴はイギリスに来たことがないんだ。だから一層ことは面倒になる。」
わたしが大学で習った教師はアラン・シリトーという労働者上がりのイギリス人作家の紹介をしていて、とても几帳面な感じの教師だった。この種のやり取りがあったと想像しても間違いではないような気がする。
で、「恥」というゲームはどのようなものかというと、英文学を研究する人々が集まったときに「研究者なら当然読んでいなければいけない本で未読の本」の名前を挙げていき、それが多いものが勝ちになるというゲームである。実に自虐的なゲームなのだが、そういうことは意外にあると思う。というのも、いまの学術研究は特定の領域にものすごく特化してしまう傾向がある。そうでなければ研究が進まないということがある。したがって、自分の専門領域以外の本はまったく読まない人が大勢出てくる。
そういう傾向は大学で学生相手に教えるときにはマイナスに働くことが多い。広い知識と関心の幅が教育には必要なのである。
なぜそのようなゲームのことを思い出したかというと、トイレで読んでいるFrank McCourtのTeacher Man第八章の冒頭部分でマコートが大学院に入って論文を書く話が出てきた。その部分を今朝読んだ。アイルランド人のマコートはジェームズ・ジョイスの『ユリシーズ』の登場人物バック・マリガンのモデルになった人物を論文のテーマに選んだ。
ところが、わたしはジョイスの『ユリシーズ』を読んだことがない。読み始めたことは何度かあるのだが、読めなかったのだ。同じようにプルーストの『失われた時を求めて』も、何度かトライしてそのたびにギブ・アップしている。
そういう未読の(だけど必読の)本というのがずっと気になっている。いずれ読めるだろうか。それとも一生読まないままになるか。
by himitosh
| 2006-09-06 08:27
| 本