藤子不二雄の「怪物くん」をドラマ化するという話だが、テレビドラマというとマンガ原作のものが半分近くを占めているのではないか。企画段階で「こういうドラマを」と考えるとき、マンガしか浮かんでこない人たちが番組を作っているとしか考えられない。つまり、そういう人たちはマンガしか読まない人たちなのだと思う。まったくと言っていいほどわたしはテレビを見ないとつい最近も書いたが、結局大人が見るものではなくなっている。マンガとアニメしかインプットされる文化情報がないのだから、無理もない。 これはテレビへのコネ入社の弊害が如実に現れて来ているためではないかと思う。「テレビ」「コネ入社」でググればすぐにわかるが、有名人、有力者の子弟は入社選考にあたって過剰に優遇されているのが実態のようだ。まあ、テレビ局からすれば、スポンサーや大物タレントの意向は無視できないから、採用人事にあたってそのような方針をとるのは理解できる。ただし、コネ入社で優秀な人間をとれるか、というとそれは難しいだろう。 ところが、番組は人間が作るわけだから社員の能力や資質、経験などが反映される。コネ入社は短期的には営業面でプラスになっても、長期的にはテレビ会社の自殺行為ではないか。 実際のところテレビは一切見ないという人たちは、ある年齢層から上ではものすごく多くなっている。今のテレビ番組は仲間内のジャーゴンだけで成り立っている。そういうものは見なくてもいい。わたしなどはそう考えている。 こういう事情は広告会社なども同じようで、ここもコネ入社が幅をきかせているという話。はっとするようなCMをテレビで見かけることはまずない。逆に疑問を感じることのほうが多い。まあ、あんまりテレビを見ていないのだけどね。 コネの横行は社会の力を大いに削いでしまうのは間違いないようだ。 ![]() 放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会が昨年まとめたバラエティー番組の見直しを求める意見書に対し、フジテレビは、「社内で勉強会を開くなどしたが、現在の番組制作に間違いや訂正すべき点はない。ノウハウはこれまで通りで進めたい」との見解を明らかにした。鈴木克明・編成制作局長らが記者会見した。意見書はバラエティー番組について「下ネタや芸人同士の内輪話がテレビ離れを招いている」と指摘していたが、これに反論した。 (朝日新聞3月3日9時13分)事実としてテレビの前にいる人の数は減っていて、視聴時間も減っている。それが番組の内容からもたらされたとは考えていないようだ。 しかし、見たいと思うような番組がないから見ない、という人は多いのではないか。テレビ視聴者の中で高齢者が占める割合はこれからも高まる一方だろうが、テレビ局はそうした変化を見越して番組を作っているのだろうか。おそらくそうではあるまい。現実には反応がはっきり現れる若者向けに作っているように思われる。 ただ、そういう若い人々もけっして喜んでこの種のバラエティ番組を見ているわけではないように思う。「あ~、時間を無駄にしてしまった」と後悔するような番組が多すぎるのではないか。 ACジャパンはかつては公共広告機構と呼ばれていたため、政府の税金で運営されていると誤解されることが多いが、実際には民間の組織である。広告を出している法人が作っている組織なので、ACが作っているテレビCMでタバコの問題が扱われることは期待できない。
最近では「ぱなしの話」という省エネを訴えるCMをよく見かける。あれはあれでまあわかりやすいCMだとは思うが、質の問題ではもう少しどうにかならないだろうか。というのも、下のようなCMを見てしまうと、日本の公共CMはまだまだ改善の余地があるように思う。 アイデアだけでなく、表現の質に十分に気を配らないとこういうCMはできまい。 デフレということはモノが売れないことを意味する。大勢の人の欲望をかき立てる商品が少なくなっているということなのだろう。おかげでこういう雑誌も売れなくなってきている。月刊の自動車雑誌「NAVI(ナビ)」(二玄社)が2月26日発売の4月号を最後に休刊することが6日分かった。1984年に創刊され、これまで田中康夫さんをはじめ泉麻人さん、えのきどいちろうさん、神足裕司さん、テリー伊藤さんといった多彩な執筆陣を起用してきたが、最近は部数が低迷していた。(毎日新聞1月6日10時26分)自動車雑誌というカテゴリーももうすっかりダメになりつつあるようだ。エコ・カーばかり売れるということは、クルマに過剰な思い入れ持つ人が減っていることでもある。たしかにハイブリッド車に乗ることと自動車雑誌を定期購読することは結びつきにくい。 特定のモノ(商品)を売ろうとするときに想定される顧客層がものすごく細分化されてきている。これも消費社会の進化の一過程だと思う。 わたしもほんとうに雑誌を買うことがなくなった。その昔買っていた『ぴあ』だとか週刊誌の類は基本的には情報収集のためだった。しかし、雑誌に求めていた情報のほとんどはネット上で手に入る時代だから、そういう雑誌はもう必要がない。書籍や雑誌というメディアは大事だとは思うが、それを商品にパッケージして売れるものにするのはまことに難しい時代になっている。 対応策としてひとつ考えられるのは、紙の雑誌ではなくて電子化された雑誌ならどうだろうか、ということだ。ディスプレイ上で読める雑誌なら、コストも低くできるし流通の必要もない。ただ、これも課金の方法がかなり微妙ではあるが。 わたしは伝統的な本や雑誌の形式が好きだが、もう実際には時代のほうがはるかに先に進んでいるのかもしれない。 今朝の朝日新聞に英語の参考書の復刻版が売れているという記事があった。その参考書とは左の写真の山崎貞『新々英文解釈研究』である。実はわたしは高校時代この参考書を使って英語の勉強をしたのだ。記事には1965年刊行とあるが、実際には1925年(大正年間)に初版が出ているものなので、わたしが使っていた時点でも、もう相当に古い本だった。わたしが通っていた都立高校は受験が売り物だったために、先生がたは受験に関してはたっぷりノウハウを持っていた。そこで英語の教師に勧められたこの参考書を使ったのだ。形式は、最初に文法事項の解説があって、それに即した英語文があり、その訳文がその後に続いていた。 あ、わたしはこの参考書は最後までやり通した。つまり、ひとつひとつの例文について日本語の訳文を作り、それを著者の訳文と比較するという面倒くさい作業である。 朝日の記事では「例文が哲学的、論理的」だとか「訳文が見事」といった、ものすごい持ち上げ方だが、実際に使ったわたしから見ると、ちょっとどうかと思うような部分もけっこうあった。たとえば、「わたしは飛行機に乗って火星に行きたい」というような内容の文があって、失笑してしまうこともあったのだ。 とはいえ、古典的な参考書をまるまる一冊こなしたおかげで自信はついて、英語に関しては問題はその後も感じることはなかった。また、受験の英語の中でも、こういう勉強はあとあと役に立つなあと思うことが多かった。ちょっと込み入ったやり取りを英語でするときでも、何となくフレーズが出てくるのだ。だから、受験勉強はあまり馬鹿にしてはいけないと思う。
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