2005年 08月 26日
マンガについて |
わたしはマンガを読む人である。
マンガを読み始めたのは、おそらく小学校1年生ぐらいからだと思う。少年マンガは月刊誌の時代で、手塚治虫の「鉄腕アトム」が掲載されていた『少年』を定期的に読んでいた。わたしの家は決して教育熱心というわけではなかったが、それでもマンガを読むことを奨励する雰囲気はあの時代どの家庭にもなかった。だから、たいていそういうマンガは友だちの家や床屋で読んだのである。
マンガ誌の週刊化は小学校高学年の頃だった。ただし、この頃はもうあまりマンガを読まなくなっていた。たぶん、マンガに限らず本というものから遠ざかっていた時期だったと思う。
そして、またマンガを読み始めたのは大学に入ってからであった。あれは『少年マガジン』の時代で、「巨人の星」とか「あしたのジョー」といった当時の人気マンガにはそれほど入れ込まなかったが、赤塚不二夫のギャグマンガはよく読んだ。そして大学院生時代はまたほとんどマンガを読んでいない。
ほんとうによくマンガを読んだと記憶しているのは、イタリア留学から帰ってきた1970年代の終わりだ。わたしは荻窪に住んでいたのだが、この頃中央線の沿線にはまだ貸本屋がいくつも生き残っていて、そういうところで毎週十数冊のマンガを借りては返すという生活を5年ほど過ごした。
これは少女マンガの時代である。大島弓子とか萩尾望都などの昭和24年生まれ――わたしとほぼ同世代――の優れたマンガ家たちが次々と傑作を発表していた。そういうものをリアルタイムで読んで、ひたすら感心していた。広大な貸本屋の本棚のマンガを次々と読んでいく楽しさを味わった。
信州大学に赴任した当時、松本にはまだ貸本屋が一軒あるのを発見して、非常にうれしかった。マンガというのは自分で買うとめちゃくちゃかさばるので、できれば借りて読みたいものなのである。よっぽど気に入ったものしか買わないのが原則である。
そしてこの松本の貸し本屋もずいぶんよく通った。いまの村に引っ越してからも、毎週通勤の途中に寄ってマンガを借りるのが習慣になっていた。残念なことに、この貸本屋はいまはない。ふつうの古本屋になってしまっている。
で、しばらくマンガからは離れていたのだが、子どもたちがマンガを読むようになってまた少しずつマンガの世界に戻ってきている。ただ、やはり子どもたちとは世代が違うので、おもしろいと思うマンガが異なる。はっきり言ってどこがおもしろいのかわからないマンガも多い。
最近のヒットはこれである。ひぐちアサ「大きく振りかぶって」(月刊アフタヌーン誌掲載)。
野球マンガというのは何通りかの定型があるのだが、これは見事にその定型をぶち壊していておもしろい。どんな野球マンガにも似ていない。絵はわたしの好みではないのだが、キャラクタの描き分けとストーリーの展開が見事である。
こういうマンガを読んでいると、マンガというのは日本の現代文化が生み出した唯一のオリジナルな表現形式であって、最も才能のある若者はこの世界に集中しているように感じる。
マンガを読み始めたのは、おそらく小学校1年生ぐらいからだと思う。少年マンガは月刊誌の時代で、手塚治虫の「鉄腕アトム」が掲載されていた『少年』を定期的に読んでいた。わたしの家は決して教育熱心というわけではなかったが、それでもマンガを読むことを奨励する雰囲気はあの時代どの家庭にもなかった。だから、たいていそういうマンガは友だちの家や床屋で読んだのである。
マンガ誌の週刊化は小学校高学年の頃だった。ただし、この頃はもうあまりマンガを読まなくなっていた。たぶん、マンガに限らず本というものから遠ざかっていた時期だったと思う。
そして、またマンガを読み始めたのは大学に入ってからであった。あれは『少年マガジン』の時代で、「巨人の星」とか「あしたのジョー」といった当時の人気マンガにはそれほど入れ込まなかったが、赤塚不二夫のギャグマンガはよく読んだ。そして大学院生時代はまたほとんどマンガを読んでいない。
ほんとうによくマンガを読んだと記憶しているのは、イタリア留学から帰ってきた1970年代の終わりだ。わたしは荻窪に住んでいたのだが、この頃中央線の沿線にはまだ貸本屋がいくつも生き残っていて、そういうところで毎週十数冊のマンガを借りては返すという生活を5年ほど過ごした。
これは少女マンガの時代である。大島弓子とか萩尾望都などの昭和24年生まれ――わたしとほぼ同世代――の優れたマンガ家たちが次々と傑作を発表していた。そういうものをリアルタイムで読んで、ひたすら感心していた。広大な貸本屋の本棚のマンガを次々と読んでいく楽しさを味わった。
信州大学に赴任した当時、松本にはまだ貸本屋が一軒あるのを発見して、非常にうれしかった。マンガというのは自分で買うとめちゃくちゃかさばるので、できれば借りて読みたいものなのである。よっぽど気に入ったものしか買わないのが原則である。
そしてこの松本の貸し本屋もずいぶんよく通った。いまの村に引っ越してからも、毎週通勤の途中に寄ってマンガを借りるのが習慣になっていた。残念なことに、この貸本屋はいまはない。ふつうの古本屋になってしまっている。
で、しばらくマンガからは離れていたのだが、子どもたちがマンガを読むようになってまた少しずつマンガの世界に戻ってきている。ただ、やはり子どもたちとは世代が違うので、おもしろいと思うマンガが異なる。はっきり言ってどこがおもしろいのかわからないマンガも多い。
最近のヒットはこれである。ひぐちアサ「大きく振りかぶって」(月刊アフタヌーン誌掲載)。
野球マンガというのは何通りかの定型があるのだが、これは見事にその定型をぶち壊していておもしろい。どんな野球マンガにも似ていない。絵はわたしの好みではないのだが、キャラクタの描き分けとストーリーの展開が見事である。
こういうマンガを読んでいると、マンガというのは日本の現代文化が生み出した唯一のオリジナルな表現形式であって、最も才能のある若者はこの世界に集中しているように感じる。
by himitosh
| 2005-08-26 19:38
| 文化一般