2005年 11月 28日
ネット大学院というもの |
文部科学省があらたに大学や大学院の設置を認可したが、そのなかにあったネット大学院の構想は却下されたという話。なにしろこれは自宅を学長室や会議室にするというようなプランで、教育活動そのものはすべてネット上で行う計画だった。
わたしはe-learningというものを否定はしないが、全面的にそれだけで教育が成り立つとは考えていない。あくまでも教育を補完する役割しかもち得ないのではないかと思う。ネット上のヴァーチャルなやりとりのおもしろさは認めるけれども、それが通常の対人コミュニケーションと違っていることは誰にでもわかる。
文科省の申請却下の理由は、ひとつには研究教育に従事する専任教員の数と質の問題と、もうひとつはやはり個人の家を大学にすることに対する危惧がある。それはそうだろう。そういう大学や大学院に入りたいと思う学生はそう多くあるまい。
ネット上で教育活動を行う、と書くとなんだか目新しくておもしろそうに感じるだろう。
だが、実際われわれがネットサーフィンをしながらやっていることは、新たな知識や概念を得て、違う世界をのぞき見ることである。そして、それと同時に、ネット上にはどれほどのインチキや嘘が並んでいるかも、否応なく知ることになる。
こういうきわめて雑質的で不均等な情報の蓄積場所は歴史を振り返ってみても、他にはない。だからこそ、いっそうおもしろいわけだが、同時に気をつけなければならないことである。
ネット依存症の人々はそういうヴァーチャルな世界に飲み込まれてしまって、リアルな世界への手がかりを失った人たちだろう。ネット大学院などを作ると、ますますそういう依存症患者を増やすことになるのではないだろうか。
わたしはe-learningというものを否定はしないが、全面的にそれだけで教育が成り立つとは考えていない。あくまでも教育を補完する役割しかもち得ないのではないかと思う。ネット上のヴァーチャルなやりとりのおもしろさは認めるけれども、それが通常の対人コミュニケーションと違っていることは誰にでもわかる。
文科省の申請却下の理由は、ひとつには研究教育に従事する専任教員の数と質の問題と、もうひとつはやはり個人の家を大学にすることに対する危惧がある。それはそうだろう。そういう大学や大学院に入りたいと思う学生はそう多くあるまい。
ネット上で教育活動を行う、と書くとなんだか目新しくておもしろそうに感じるだろう。
だが、実際われわれがネットサーフィンをしながらやっていることは、新たな知識や概念を得て、違う世界をのぞき見ることである。そして、それと同時に、ネット上にはどれほどのインチキや嘘が並んでいるかも、否応なく知ることになる。
こういうきわめて雑質的で不均等な情報の蓄積場所は歴史を振り返ってみても、他にはない。だからこそ、いっそうおもしろいわけだが、同時に気をつけなければならないことである。
ネット依存症の人々はそういうヴァーチャルな世界に飲み込まれてしまって、リアルな世界への手がかりを失った人たちだろう。ネット大学院などを作ると、ますますそういう依存症患者を増やすことになるのではないだろうか。
by himitosh
| 2005-11-28 19:20
| 大学