2005年 12月 01日
子どもを守ることと育てること |
広島の小学1年生が殺された事件で在日ペルー人の男が容疑者として逮捕された。そのことに関していろいろな反響があって、いろいろ考えさせられた。
「容疑者が外国人であったことをあまり重要視すべきではないこと、防犯意識を高めて子どもの登下校の全プロセスを見守るような体制を作るべきこと、社会が子どもを守る仕組みを作るべきである」というような意見が目立つ。
「子どもが街を一人で歩いている状況を放置するのは社会の怠慢だ」というような議論まであって、ここまで来ると正直なところ素直に受け入れることができない。というのも、こういう問題には一定の「常識」というものが判断の基準になるように思うからだ。
街をひとりで歩いているのを見過ごせない「子ども」というのはいったいどれぐらいの年齢なのか。まさか中学生や小学校の高学年の子どもは入るまい。また、「街」といってもいろいろある。状況もさまざまだ。新宿の歌舞伎町を午前2時に中学生が歩いていたらそれは問題だろう。
で、小学校と家の往復を子どもだけでさせるのは日本ではごくふつうのことだ。集団登校というのはたしかに行われているが、子どもにだって好き嫌いがあって「誰それとは一緒に行きたくない」ということもある。それに下校時間は学年によってバラバラなので、どうしてもひとりっきりで帰ることも起きる。
そういう子どもたちの行動をすべて大人の監視下に置くことは理論的には可能かもしれないが、それが子どもや大人たちにとっていいことなのかどうか。そういう社会で育つ子どもは幸せではなさそうだ。
むしろこういう事件が起こるたびに思うのは、大人たちの社会関係のほうに問題があるということだ。子どもを取り巻く大人のあり方がどこか歪んでいるためにこういう事件が起こる。
ちなみにイタリアでは小学校も低学年では(いまはどうかわからないが)親の送り迎えが義務づけられていた時代が長かった。エドモンド・デ・アミーチスの『クオーレ』という小学生を主人公とした小説は、デ・アミーチス自身が小学生の息子の送り迎えをしていて、休暇明けでひさしぶりにあった子ども同士が抱き合って再会を喜ぶ様子を見て書き始めたという話をどこかで読んだ記憶がある。
もともと日本の社会は子どもに対してわりあい寛大な接し方をしてきたらしい。江戸時代の終わりから明治の初めに日本を訪れた外国人たちは一様にそうした見聞を書き残している。寛大であるということは、放任とか自由ということではなく、社会のゆるやかな枠のなかで子どもを育てる仕組みがあったことを示している。
そうした伝統はわたしにとってはプラス・イメージにつながる。社会のなかにいろいろな異分子が入り込んできたときに、うまく吸収調和させることが求められているように思う。それがあって初めて子どもを守り育てることが可能になるのだ。
「容疑者が外国人であったことをあまり重要視すべきではないこと、防犯意識を高めて子どもの登下校の全プロセスを見守るような体制を作るべきこと、社会が子どもを守る仕組みを作るべきである」というような意見が目立つ。
「子どもが街を一人で歩いている状況を放置するのは社会の怠慢だ」というような議論まであって、ここまで来ると正直なところ素直に受け入れることができない。というのも、こういう問題には一定の「常識」というものが判断の基準になるように思うからだ。
街をひとりで歩いているのを見過ごせない「子ども」というのはいったいどれぐらいの年齢なのか。まさか中学生や小学校の高学年の子どもは入るまい。また、「街」といってもいろいろある。状況もさまざまだ。新宿の歌舞伎町を午前2時に中学生が歩いていたらそれは問題だろう。
で、小学校と家の往復を子どもだけでさせるのは日本ではごくふつうのことだ。集団登校というのはたしかに行われているが、子どもにだって好き嫌いがあって「誰それとは一緒に行きたくない」ということもある。それに下校時間は学年によってバラバラなので、どうしてもひとりっきりで帰ることも起きる。
そういう子どもたちの行動をすべて大人の監視下に置くことは理論的には可能かもしれないが、それが子どもや大人たちにとっていいことなのかどうか。そういう社会で育つ子どもは幸せではなさそうだ。
むしろこういう事件が起こるたびに思うのは、大人たちの社会関係のほうに問題があるということだ。子どもを取り巻く大人のあり方がどこか歪んでいるためにこういう事件が起こる。
ちなみにイタリアでは小学校も低学年では(いまはどうかわからないが)親の送り迎えが義務づけられていた時代が長かった。エドモンド・デ・アミーチスの『クオーレ』という小学生を主人公とした小説は、デ・アミーチス自身が小学生の息子の送り迎えをしていて、休暇明けでひさしぶりにあった子ども同士が抱き合って再会を喜ぶ様子を見て書き始めたという話をどこかで読んだ記憶がある。
もともと日本の社会は子どもに対してわりあい寛大な接し方をしてきたらしい。江戸時代の終わりから明治の初めに日本を訪れた外国人たちは一様にそうした見聞を書き残している。寛大であるということは、放任とか自由ということではなく、社会のゆるやかな枠のなかで子どもを育てる仕組みがあったことを示している。
そうした伝統はわたしにとってはプラス・イメージにつながる。社会のなかにいろいろな異分子が入り込んできたときに、うまく吸収調和させることが求められているように思う。それがあって初めて子どもを守り育てることが可能になるのだ。
by himitosh
| 2005-12-01 10:08
| 社会