2006年 01月 02日
エスカレーター上の歩行について |
東京へ行くとエスカレーターを利用する機会が多くなる。今回も駅やデパートなど多くの場所でエスカレーターに乗った。それで違和感を感じたのが、あの片側(東京では左側)に寄って立ち、反対側を歩く人のためにあけるというやり方である。東京で育ったわたしが断言することだが、こういう習慣が始まったのはそんなに昔のことではない。
駅のエスカレーターの場合には大勢の人が利用するので、乗り口で待つケースが多い。ところが二人並べるはずの一段につき一人しか乗らない(乗れない)ために、乗るまでに時間がかかるケースが多い。スキー場のペアリフトを思えばいい。混雑しているのに、毎回一人しか乗らないのではリフト待ちの列がどんどん長くなるのと同じである。
エスカレーターの片方を開ける習慣は、エスカレーターの輸送力を大幅に低下させているのは間違いない。また、エスカレーター上に立っている横をものすごい勢いですり抜けていく人たちは危険ではないのだろうか? とくにいまごろは着膨れしており、大きな荷物を持っていたりするとそれが接触することも多い。エスカレーターの一段は明らかに階段の一段よりも高い。下りのエスカレーターでは上りよりももっと危ない。
この問題は最近でもけっこう議論になっているようだ。それに目を通すと、「現在のまま(つまり片側歩行)がいい」と主張している人たちは圧倒的に強者の立場から、既得の権利を守り抜く姿勢がうかがえる。子どもづれとか、高齢者とか、身障者とか、都会の交通機関の中での弱者の立場をほとんど無視している様子がうかがえる。
そもそも公共施設のエスカレーターが最近になって急速に増えてきた背景には「交通バリアフリー法」という法律が制定され、公的補助金が制度化されたことがある。つまり、階段を登るのに困難をきたす人々に対して差し出された杖がエスカレーターなのであって、エスカレーターを駆け上りたいという健常者を対象として整備が進められてきたのではないのである。
エスカレーターは階段を昇り降りする速度を上げる、効率を上げる装置ではない。移動における弱者を助ける装置である。それを傍若無人な態度で、俺たちの権利を守れという調子で、片側の歩行権を強硬に主張する姿勢には反発を感じる。だいたいそんなもので稼げる数秒という時間がどれほどの意味を持つのか。また、そうやって数秒、数十秒を節約する生活が人間らしいといえるのか。
エスカレーター上の歩行とか、電車内での携帯電話の使用とか、もともと日本人が持っていた他者への思いやりの心がすっかり薄れてきてしまっている証拠のような気がする。それを感じることが多いので、わたしにとって都会は疲れる場所なのである。
エスカレーター上は歩かない。
これを原則とすべきとわたしは考える。
駅のエスカレーターの場合には大勢の人が利用するので、乗り口で待つケースが多い。ところが二人並べるはずの一段につき一人しか乗らない(乗れない)ために、乗るまでに時間がかかるケースが多い。スキー場のペアリフトを思えばいい。混雑しているのに、毎回一人しか乗らないのではリフト待ちの列がどんどん長くなるのと同じである。
エスカレーターの片方を開ける習慣は、エスカレーターの輸送力を大幅に低下させているのは間違いない。また、エスカレーター上に立っている横をものすごい勢いですり抜けていく人たちは危険ではないのだろうか? とくにいまごろは着膨れしており、大きな荷物を持っていたりするとそれが接触することも多い。エスカレーターの一段は明らかに階段の一段よりも高い。下りのエスカレーターでは上りよりももっと危ない。
この問題は最近でもけっこう議論になっているようだ。それに目を通すと、「現在のまま(つまり片側歩行)がいい」と主張している人たちは圧倒的に強者の立場から、既得の権利を守り抜く姿勢がうかがえる。子どもづれとか、高齢者とか、身障者とか、都会の交通機関の中での弱者の立場をほとんど無視している様子がうかがえる。
そもそも公共施設のエスカレーターが最近になって急速に増えてきた背景には「交通バリアフリー法」という法律が制定され、公的補助金が制度化されたことがある。つまり、階段を登るのに困難をきたす人々に対して差し出された杖がエスカレーターなのであって、エスカレーターを駆け上りたいという健常者を対象として整備が進められてきたのではないのである。
エスカレーターは階段を昇り降りする速度を上げる、効率を上げる装置ではない。移動における弱者を助ける装置である。それを傍若無人な態度で、俺たちの権利を守れという調子で、片側の歩行権を強硬に主張する姿勢には反発を感じる。だいたいそんなもので稼げる数秒という時間がどれほどの意味を持つのか。また、そうやって数秒、数十秒を節約する生活が人間らしいといえるのか。
エスカレーター上の歩行とか、電車内での携帯電話の使用とか、もともと日本人が持っていた他者への思いやりの心がすっかり薄れてきてしまっている証拠のような気がする。それを感じることが多いので、わたしにとって都会は疲れる場所なのである。
エスカレーター上は歩かない。
これを原則とすべきとわたしは考える。
by himitosh
| 2006-01-02 21:43
| 社会