2006年 11月 21日
書類の量について |
国立大学の独立行政法人化以降、われわれ教員が読んだり書いたりする書類の量は大幅に増えた。なんといっても大学評価にともなう膨大な書類の影響が大きい。七年に一度は全面的な評価の更新があり、それにあわせて毎年さまざまな大学の活動がチェックの対象となってくる。
担当する先生からはしょっちゅう催促が来るのだが、次から次へと書くべき書類が現れるもので、どの書類の締切がいつだったのかわからなくなってしまう。だからたいてい提出が締切のギリギリ(あるいはちょっと遅れて)ということになってしまうのである。
今日もそういう書類を二件片づけるのに数時間を要した。そういう書類を作成する能力はやっていれば自然に身についてくるのだが、この頃はなんだかむなしくてしかたがない。全国の国公立・私立大学をあわせると、こういう書類の量は想像を絶するほどのものになるだろう。それが文科省や大学評価機構に毎年蓄積されていく。書類を保管するための倉庫も巨大なものが必要だろう。そうした書類を何十年も経ってから誰かが見ることがあるのだろうか。
唯一の救いは、この種の書類のほとんどが電子化されていることである。これをいちいち紙に書いていたらにっちもさっちもいかないだろう。
とはいえ、ストレージのかなりの部分がそういう書類で浸食されていく日々なのである。
担当する先生からはしょっちゅう催促が来るのだが、次から次へと書くべき書類が現れるもので、どの書類の締切がいつだったのかわからなくなってしまう。だからたいてい提出が締切のギリギリ(あるいはちょっと遅れて)ということになってしまうのである。
今日もそういう書類を二件片づけるのに数時間を要した。そういう書類を作成する能力はやっていれば自然に身についてくるのだが、この頃はなんだかむなしくてしかたがない。全国の国公立・私立大学をあわせると、こういう書類の量は想像を絶するほどのものになるだろう。それが文科省や大学評価機構に毎年蓄積されていく。書類を保管するための倉庫も巨大なものが必要だろう。そうした書類を何十年も経ってから誰かが見ることがあるのだろうか。
唯一の救いは、この種の書類のほとんどが電子化されていることである。これをいちいち紙に書いていたらにっちもさっちもいかないだろう。
とはいえ、ストレージのかなりの部分がそういう書類で浸食されていく日々なのである。
by himitosh
| 2006-11-21 15:22
| 大学