2005年 05月 17日
禿げと学問 |
先週末の西洋史学会では久しぶりに会う知人も多く、そうした人々が無残な頭髪状況に陥っているのに気づいた。無残な状況とは白髪化よりも髪の毛自体の喪失のことである。人のことは言えない。わたしにしても薄毛化の進行は押し止めようがない段階に到達している。
その昔、信大の人文学部に在籍しておられた(現千葉大の)哲学者、永井均氏と話し合ったことがあった。そのテーマは学問領域と禿げの関係である。簡単にいうと「いかなる学問をやると禿げるか」ということであった。
いまから15年ぐらい前のことだから、わたし自身もわたしの周囲にいた歴史学者たちもまだ若くて、禿げている人は例外的な存在であった。その当時わたしは「歴史学者に禿げは少ない」という仮説をひそかに抱いていた。
その仮説を永井氏とともに検証したのであるが、氏は断固たる確信を持って明言された。「哲学をやると禿げます」と。
「あることを徹底して考え抜くと、どうしても頭に血がのぼります。これが血行を促進して発毛を促すと考える人もいますが、ぼくはそうではないと見ています。頭に血がのぼって脱毛が激しくなるのです」という氏の説明を聞いて、わたしは哲学関係の知人を思い浮かべながら深く感じるところがあったのをおぼえている。
しかし、歴史研究者としては実証的なデータがないと結論を出すのがためらわれる。そこでそのときに提案したのが、西洋史学会や哲学会などの全国的な学会の総会に「日本野鳥の会」の専門家を派遣して高いところから観察・計測してもらうということだった。それをすべての学会でやってみてはどうだろうかと。
そうすれば、「歴史学33%」とか「哲学45%」、「心理学43%」、「社会学52%」などといちおうのデータは揃うのではないだろうか。そうしたデータがあれば、学問を志す人々はどの学問領域が禿げやすいかを考えた上で自分の専門を選べるようになるのではないか。
そんなやりとりを今回の西洋史学会では思い出してしまった。ことほどさように西洋史学会構成員の薄毛化は目立っていたのである。
その昔、信大の人文学部に在籍しておられた(現千葉大の)哲学者、永井均氏と話し合ったことがあった。そのテーマは学問領域と禿げの関係である。簡単にいうと「いかなる学問をやると禿げるか」ということであった。
いまから15年ぐらい前のことだから、わたし自身もわたしの周囲にいた歴史学者たちもまだ若くて、禿げている人は例外的な存在であった。その当時わたしは「歴史学者に禿げは少ない」という仮説をひそかに抱いていた。
その仮説を永井氏とともに検証したのであるが、氏は断固たる確信を持って明言された。「哲学をやると禿げます」と。
「あることを徹底して考え抜くと、どうしても頭に血がのぼります。これが血行を促進して発毛を促すと考える人もいますが、ぼくはそうではないと見ています。頭に血がのぼって脱毛が激しくなるのです」という氏の説明を聞いて、わたしは哲学関係の知人を思い浮かべながら深く感じるところがあったのをおぼえている。
しかし、歴史研究者としては実証的なデータがないと結論を出すのがためらわれる。そこでそのときに提案したのが、西洋史学会や哲学会などの全国的な学会の総会に「日本野鳥の会」の専門家を派遣して高いところから観察・計測してもらうということだった。それをすべての学会でやってみてはどうだろうかと。
そうすれば、「歴史学33%」とか「哲学45%」、「心理学43%」、「社会学52%」などといちおうのデータは揃うのではないだろうか。そうしたデータがあれば、学問を志す人々はどの学問領域が禿げやすいかを考えた上で自分の専門を選べるようになるのではないか。
そんなやりとりを今回の西洋史学会では思い出してしまった。ことほどさように西洋史学会構成員の薄毛化は目立っていたのである。
by himitosh
| 2005-05-17 19:38
| 大学