2008年 07月 23日
メリトクラシーからアリストクラシーへ |
大分の教員採用試験をめぐる汚職は地元紙にも関係者がいることがわかり、コネがすべてというすさまじい実態が次第に明らかになってきている。大分県の小中学校の教員の半数以上がこうしたコネを通じて採用されてきたと考えても差し支えなかろう。そして、おそらく同じような状況は他の都道府県でも多かれ少なかれあるのではないかと推測する。
また、こうしたコネによる就職という例は教員だけではなくあらゆる職種に広がってきているのではないか。日本の社会全体に広がる傾向と見ても間違いはないように思う。往々にして教員の子どもが教員になることが多いようだ。
この子どもが親と同じ職業に就くことだが、いうなればそれは身分制社会ということである。その人間の資質や能力によって社会的序列が定まるメリトクラシーが近代社会の原理とされるが、身分制社会ではその人間の出自がものを言う、つまりアリストクラシーが日本の社会では復活しつつあるのではないか。そして、そのもたらす悪弊がだんだんと表面化しつつあるのではないか。
例えば、テレビ業界ではコネによる就職が非常に多いというが、たしかに有名人やタレント・俳優などの子どもがテレビの番組という表だけでなくテレビ局社員として裏方としても大勢いるという話である。能力も知識もない人々が親の影響力によってテレビ局に就職する。そういう人々がやたらに多くなった結果がいまの日本のテレビ番組の質が低下する一因になっているのではないだろうか。やたらとマンガを原作とするテレビドラマが多いのも、そういう七光り社員たちがマンガしか読まないからではないか。企画を考えるにも知的な経験に乏しいため、マンガしか浮かばないのである。
念のために書いておくが、わたしはマンガをけっしてバカにしているのではない。それはこのブログでも再三マンガについて触れていることからもわかるだろう。おそらく同時代の最良の才能の持ち主がマンガやアニメの世界で力を発揮しているのが現在の日本であろう。しかし、マンガしか読まないのでは、明らかに知的な関心領域が狭くなる。狭いマーケットだけを対象にテレビ番組が作られているのは間違いないように思う。
日本の社会が一種の閉塞状況に陥りつつある大きな理由の一つがこのメリトクラシーからアリストクラシーへの逆行にあるように思う。
また、こうしたコネによる就職という例は教員だけではなくあらゆる職種に広がってきているのではないか。日本の社会全体に広がる傾向と見ても間違いはないように思う。往々にして教員の子どもが教員になることが多いようだ。
この子どもが親と同じ職業に就くことだが、いうなればそれは身分制社会ということである。その人間の資質や能力によって社会的序列が定まるメリトクラシーが近代社会の原理とされるが、身分制社会ではその人間の出自がものを言う、つまりアリストクラシーが日本の社会では復活しつつあるのではないか。そして、そのもたらす悪弊がだんだんと表面化しつつあるのではないか。
例えば、テレビ業界ではコネによる就職が非常に多いというが、たしかに有名人やタレント・俳優などの子どもがテレビの番組という表だけでなくテレビ局社員として裏方としても大勢いるという話である。能力も知識もない人々が親の影響力によってテレビ局に就職する。そういう人々がやたらに多くなった結果がいまの日本のテレビ番組の質が低下する一因になっているのではないだろうか。やたらとマンガを原作とするテレビドラマが多いのも、そういう七光り社員たちがマンガしか読まないからではないか。企画を考えるにも知的な経験に乏しいため、マンガしか浮かばないのである。
念のために書いておくが、わたしはマンガをけっしてバカにしているのではない。それはこのブログでも再三マンガについて触れていることからもわかるだろう。おそらく同時代の最良の才能の持ち主がマンガやアニメの世界で力を発揮しているのが現在の日本であろう。しかし、マンガしか読まないのでは、明らかに知的な関心領域が狭くなる。狭いマーケットだけを対象にテレビ番組が作られているのは間違いないように思う。
日本の社会が一種の閉塞状況に陥りつつある大きな理由の一つがこのメリトクラシーからアリストクラシーへの逆行にあるように思う。
by himitosh
| 2008-07-23 20:34
| 社会