2008年 07月 29日
川遊び |
今朝の朝日新聞の一面には、左にあげた神戸市役所のホームページからの三枚の写真が掲載されている。昨日の局地的豪雨のために川遊びをしていた子どもたちが流されて死亡したニュースの関連写真である。最初の写真は14時15分頃の、子どもが流された現場から150m上流にある神戸市建設局の監視カメラの映像である。川で遊んでいる子どもたちが写っている。
それから30分ほどあとの14時50分頃が次の写真である。実際のところわたしが住んでいるあたりでも昨日は滝のような雨が降った。あの雨が神戸のような傾斜地にまとまって降れば、こうした状況になるのは十分想像できる。
また、非常に局地的な雨というのも厄介なものだ。二、三日前にやはりクルマで出かけていたとき、自宅近くでものすごい雨に見舞われた。ところがそこから距離にして1kmも離れていないわたしの家ではまったく雨が降っていなかったのである。別の場所で豪雨が降っていることに気づけないのにも無理はない。
おまけに神戸は都市化が進んでいるから、降った雨が木や土で吸収されることがほとんどなくて、排水溝から川に流れ込んだのも影響しているだろう。
それでも、状況の変化がきわめて速かったとはいえ、これは周囲にいた大人がきちんと判断しないといけないと思う。経験の乏しい子どもには逃げなくてはいけないことなど絶対にわからないだろう。
最後の写真はそれから1時間後の15時50分頃の写真である。もうずいぶん水は引いている。川といっても水を集める範囲が狭いからだろう。
今から半世紀昔になるが、小学校2年から3年生の約1年半ほど、わたしは大阪の郊外で暮らしたことがある。そこには大和川という川が流れていた。現在ではこの川は水質汚染全国ワースト1という汚い川だが、その頃はまだ川遊びができるぐらい綺麗な水が流れていた。
そして、夏の遊びのなかで川遊びぐらい楽しいものはあまりなかったように思う。浅い川で魚を追いかけたり、水路を作ったりするのはほんとうにおもしろかった。
だから遊びに夢中になる子どもの気持はよくわかる。
しかし、やはり今思うと、あれもけっこう危険な遊びだったのかもしれない。つねに大きな子どもたち(中学生ぐらい)と一緒だったから、彼らが気を配ってくれていたのだろう。
今回の事故は不可抗力とも考えられるが、大人も子どもも自然の恐ろしさをわきまえておく必要があるのではないか。
<追記>
その後の報道を見ていると、この川は「河川」というよりは「排水路」と呼んだほうが正しいようだ。降った雨をまとめて海に流すことが主たる目的で、川として利用することは副次的な目的といえる。それを親水公園化してしまっていたわけである。
やっぱり水は怖いものだと思う。
それから30分ほどあとの14時50分頃が次の写真である。実際のところわたしが住んでいるあたりでも昨日は滝のような雨が降った。あの雨が神戸のような傾斜地にまとまって降れば、こうした状況になるのは十分想像できる。
また、非常に局地的な雨というのも厄介なものだ。二、三日前にやはりクルマで出かけていたとき、自宅近くでものすごい雨に見舞われた。ところがそこから距離にして1kmも離れていないわたしの家ではまったく雨が降っていなかったのである。別の場所で豪雨が降っていることに気づけないのにも無理はない。
おまけに神戸は都市化が進んでいるから、降った雨が木や土で吸収されることがほとんどなくて、排水溝から川に流れ込んだのも影響しているだろう。
それでも、状況の変化がきわめて速かったとはいえ、これは周囲にいた大人がきちんと判断しないといけないと思う。経験の乏しい子どもには逃げなくてはいけないことなど絶対にわからないだろう。
最後の写真はそれから1時間後の15時50分頃の写真である。もうずいぶん水は引いている。川といっても水を集める範囲が狭いからだろう。
今から半世紀昔になるが、小学校2年から3年生の約1年半ほど、わたしは大阪の郊外で暮らしたことがある。そこには大和川という川が流れていた。現在ではこの川は水質汚染全国ワースト1という汚い川だが、その頃はまだ川遊びができるぐらい綺麗な水が流れていた。
そして、夏の遊びのなかで川遊びぐらい楽しいものはあまりなかったように思う。浅い川で魚を追いかけたり、水路を作ったりするのはほんとうにおもしろかった。
だから遊びに夢中になる子どもの気持はよくわかる。
しかし、やはり今思うと、あれもけっこう危険な遊びだったのかもしれない。つねに大きな子どもたち(中学生ぐらい)と一緒だったから、彼らが気を配ってくれていたのだろう。
今回の事故は不可抗力とも考えられるが、大人も子どもも自然の恐ろしさをわきまえておく必要があるのではないか。
<追記>
その後の報道を見ていると、この川は「河川」というよりは「排水路」と呼んだほうが正しいようだ。降った雨をまとめて海に流すことが主たる目的で、川として利用することは副次的な目的といえる。それを親水公園化してしまっていたわけである。
やっぱり水は怖いものだと思う。
by himitosh
| 2008-07-29 07:36
| 記憶のきれぎれ